教育勅語をどう読むか、私はこう読む。

初投稿です。

 

さて、最近巷を騒がせている「教育勅語」についてお話します。具体的には朝日新聞の批判、それから産経新聞への批判、最後に教育勅語そのものへの批判をして私なりの結論を述べます。(もっと読む価値のある記事があれば教えてクレメンス)

 

教育勅語とは

 教育勅語とは、1890年に明治天皇によって発布された戦前の教育の根本方針を示した勅語です。儒教的思想を基礎にして、忠君愛国の精神を説きました。戦前は天皇制の精神的支柱として使われましたが、戦後に失効が議決されました。(旺文社 日本史辞典をもとに作成)

 

朝日新聞への批評

 教育勅語を教えることに反対する思想の代表に朝日新聞があります。この新聞の社説((社説)教育勅語肯定 稲田大臣の資質を問う:朝日新聞デジタル)を批評します。

 この記事の中で、教育勅語は「軍国主義の根拠」であり、教育勅語の理念は現行憲法と「相いれない」としています。さらに教育勅語の核心は、国民が天皇のために命をささげることであるとしています。

 教育勅語が現行憲法、並びに教育基本法と「相いれない」とされたのは事実です。その結果、衆議院教育勅語を排除する決議、参議院教育勅語が失効していることを確認する決議がなされました。しかし、教育勅語儒教的思想を背景にしたお触れであり、軍事力の強化がもっとも優先される「軍国主義」を奨励しているわけではありません。そして、教育勅語の核心は天皇を主君とする国家観と儒教的価値観を徹底させることです。「天皇が国家の主君である」ということを「天皇のために命を捨てよ」と解釈するのはあまりに限定的です。天皇に命を握られているなら話は別ですが……

 

産経新聞への批評、並びに教育勅語そのものの欠点

 教育勅語を教えることに賛成(反対しない)する思想の代表に産経新聞があります。この新聞の、「教育勅語のどこが悪いのか」(【阿比留瑠比の視線】教育勅語のどこが悪いというのか 毎日新聞よ、無知と偏見の他者攻撃はみっともない(3/3ページ) - 産経ニュース)という記事を批評してみます。

 この記事の中で、教育勅語は「明治天皇が、人が生きていく上で心がけるべき徳目を簡潔に示した」ものであるとしています。この主張は間違ってはいませんが、不十分です。教育勅語の中にある「天皇が主君であり、国民は天皇に仕える」という理念を読み取れていません。

 現在の日本は国民主権です。国の主権者は天皇ではなく我々国民です。ゆえに、国民はもう「朕が忠良の臣民」ではありません。教育勅語でよく取り上げられる12の項目は儒教の考えがよく反映されたことが書かれてありますが、その前文、ならびに後文は天皇が日本の主君であることが前提で書かれてあります。この教育勅語を直すことなく教えたら、未来の日本を背負う子供たちに前時代的な国家観を与えてしまいかねません。

 

私の考え

 前述のとおり、私は、儒教の考えは日本国民の基本的道徳として浸透していると思います。そこで提案なのが、天皇が日本を統治しているという表現を、今は国民が日本を統治していると書き換えることです。一国の主は転々とするものです――確かに昔は天皇が日本のリーダーでしたが、鎌倉時代から江戸時代は実質武士(軍人!)の実力主義国家でしたし、ここ70年は天皇は「象徴」です。

 そうしますと、件の12項目のうちの最後、「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」というのは「万が一国が危機に瀕すれば、国民の力は統治者である国民に使われる」という「自分たちの身は自分たちで守れ」的な当たり障りのない文章と化します。

 

番外編(課題)

 さて、「人が生きていく上で心がけるべき徳目」とは何でしょうか。これは教育勅語の中に流れる「儒教」のことだと思われます。例えば、親を敬い、勉学に励み……といったことです。儒教の思想を端的に表現する言葉に「忠孝」がありますね。忠は主君に仕えること、孝は目上の人を敬うことです。これは私たちが日ごろ先輩に敬語を使ったり、親の言うことを聞くことに通じますね。

 しかし、これは基本的人権の「平等の原則」に反します。ゆえに衆議院教育勅語が「現行憲法と相いれない」とされました。昔尊属殺人という罪があり、「親殺しは普通の殺人より重罪である」というものでしたが、現在は廃止されました。また法の下では平社員も社長も平等に扱われます。

 平等という原則と「忠孝」という道徳が矛盾しているのです。我々はこのジレンマにどう立ち向かえばいいのでしょうか?

 

 また万が一戦争になったときに、我々は日本を守るために命を投げ出すでしょうか? 現代では個人主義が普通になってしまいました。さらにグローバル化が進み、いざとなれば日本から出ていくこともできます。国家の存亡と個人の存亡が対立したとき、国民はどうすればいいのでしょうか? もし国の存亡が優先されたとしても、国が国民に「心臓を捧げよ(ちょっとかっこよく)」と命じることはできるのでしょうか?

 

ではまた、いずれ。